正定寺が育んだ幼稚園
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1947 – 2006
明和学園幼稚園は、正定寺が営んだ幼稚園です。昭和二十二年(一九四七)に開園し、平成十八年(二〇〇六)に閉園するまで、およそ六十年にわたって、浅草の子どもたちを育ててまいりました。
すでに園は閉じましたが、ここで育った数千人の園児たちと、そのご家族の記憶の中に、明和学園幼稚園は今も生きております。そして園舎は、姿を変えながらも、今なお「明和会館」としてこの地に残っております。当山は、この幼稚園の歩みを、記録として書き残しておきたいと思います。
THE NAME
明るく 正しく 和(仲よく)
戦後まもなく、日本中の大人たちがまだ復興に懸命だった頃のことです。正定寺の住職・原善久は、子どもたちに良い教育の場を与えるべきだと考えました。まず、大正時代に発足していたボーイスカウトを昭和二十一年に復活させ、翌年には寺の一部を保育室に改装して、明和学園幼稚園を開きました。
「明和」という名は、大本山御法主の助言により、仏教の三宝「明るく正しく和(仲よく)」から名づけられたものです。子どもたちが、明るく、正しく、仲よく育ちますように——その願いが、そのまま園の名前になりました。
開園の二年後、初代園長であった善久が急逝します。そのあとを継いで、原善正が住職と園長に就任しました。以来、幼児教育こそ寺院の務めであるという信念のもと、園は年々大きくなり、昭和四十七〜四十八年頃には園児が三百人を超えるまでになりました。
SCHOOL SONG
一、お庭に明るい 草の花
お窓に小鳥も 来て遊ぶ
ここはみんなの 明和学園
めいわめいわ みんなの学園
二、み仏さまに 守られて
みんなで仲よく 遊びましょう
ここはみんなの 明和学園
めいわめいわ みんなの学園
三、やさしく正しく 美しく
のびる僕たち 私たち
ここはみんなの 明和学園
めいわめいわ みんなの学園
作詞 賀来琢磨 / 作曲 本多鉄麿
昭和二十三年制定
HISTORY
FAREWELL
昭和三十年から始まった二泊三日(のちに三泊四日)の臨海保育、入園式・卒園式での園児による司会や発表、運動会、お遊戯会、園外保育——数えきれない行事とともに、明和学園幼稚園は歩んでまいりました。アメリカ駐留軍との交流、赤十字の実験園、視聴覚教育、園バスの早期導入など、時代の先を行く試みにも取り組みました。
少子化の波には抗えず、平成十八年三月、明和学園幼稚園はその歴史を閉じました。最後の卒園児は十一名。さよならパーティーには、かつての園児やご家族が集い、園歌を歌って別れを惜しみました。
けれども、園舎そのものは失われませんでした。かつて園児たちが過ごした建物は、内装こそ改められましたが、今も「明和会館」として、この地に建っております。壁面などに、当時の面影を少しばかりとどめながら。閉園から二十年近くを経た今も、この建物は、法要や地域の集いの場として使われ続けています。
明和学園幼稚園は、
私たちみんなの故郷です。
昭和二十二年五月十日 開園 ─ 平成十八年三月三十一日 閉園